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さかな

 僕はその春、モラトリアムを止めた。大学での研究は投げ出して、人並みに職に就こうとしたのである。しかし、会社勤めは一週間と続かなかった。上司との喧嘩によりそこを飛び出してからは、気儘(きまま)なアルバイト暮らしを続けている。暑い季節が巡ってきたので、一ヶ月の休暇をもらい、手元にある財産をリックに詰め込み、学生気分で旅に出た。
――こんな呑気な奴も珍しいだろう。
 自分はすでに二十六だ。仕事の上での付き合いはないし、嫁さん探しに躍起になる気もさらさらない。大学時代の仲間と酒を酌み交わすことも、最近では滅多になくなった。ただ、何処か遠い所へ行きたかった。
 目指す先は日本海に浮かぶ金と流人の島、佐渡であった。信濃川河口近くの船着き場から、フェリーに揺られること二時間半。幕末に開港した島の中心地、両津の歴史を感じさせる町並みが、夏の強い日射しの中から姿を現わした。港の中にはターミナル以外に、際立って高い建物は見当たらない。岸壁に沿って軒を並べる家々は、傾斜の急な屋根に灰色の瓦が重たげに載っている。この町が平たく奥行きがないのは、背後に湖が控えているからである。港に到着した後は、少し時間の余裕があった。そこで、小高い丘の上まで足を運ぶことにし、牡蠣(かき)養殖の筏(いかだ)が浮かぶ加茂湖の光を、心行くまで眺めていた。
 両津からバスに乗り、国中平野を横切って約一時間半、その日の宿が取ってある佐和田の停留所で下りた頃には、暑い日も西に傾き、時折涼しい風も吹き始めていた。史蹟が集中する真野までは五キロちょっとだが、無理をして今日回るのは止めた。
 翌日は先ず、真野にある朱鷺(とき)の郷に寄った。そこで目にしたのは、薄汚れた剥製となった鳥の哀れな姿だった。すぐに博物館から出てしまうと、目の前の道を進んで、くねくねした坂を登っていく。順徳院の御火葬塚はその先にあった。承久の乱で北条義時のためにこの地に流された院は、柵で仕切られた地所の奥で荼毘(だび)に付され、御骨となって京にお戻りになられた、と案内板には記されている。
 院が生前お過ごしになった配所は、この近くであったと、一般には信じられている。ところが、それはここから相当離れた菱池という、今はない小さな池のほとりにあったのだそうだ。しかも、この御火葬塚自体、江戸初期の延宝七年(一六七九)に築かれたもので、それ以前ここは田畑であったとのことだ。これは偶然その場に居合わせた郷土史研究家から耳にした話で、何でもロマンチックに色づけしたがるガイドの口からは、決して聞くことは出来なかったことだと思う。
 日が中天に差し掛かる頃、日蓮上人の消息を伝える阿仏房妙宣寺を訪れた。五重塔の下で慌ただしくお握りを頬張り、バス停まで駆けていった。前日泊まった旅館の前を過ぎてから、約三十分で相川営業所に着く。そこから佐渡金山までは歩いても行けたのだが、そろそろ足が痛くなってきていた。次のバスが出発するまで待合室で休むことにし、ガイドブックを読み返していた。
 丸太で組まれた坑道を、数珠つなぎで下りはじめると、地の底からひんやりした風が吹き上がってきた。脇の下の汗も引いて、まくり上げていた腕に、さっと鳥肌が広がっていく。ランプから放たれた柔らかな光が、一番奥の窪まった一角を照らしている。そこには江戸時代の採掘当時の状況が再現され、ちょん髷を結ったロボット達が、金の鉱脈を鶴嘴(つるはし)で打ち砕いていた。唐箕(とうみ)で穴の先端に風を送り、酸欠になるのを防ぐ一方で、湧き出した地下水は、水上輪という内側が螺旋状になった筒を回すことで、上の方に汲み上げられていく。その隣りの部屋では、これからどう掘り進めていくべきか、測量をしている者もいる。見張りの役人は辺りを見回すように首を振り、「手を休めるな。もうすぐ飯だ。頑張れ」と、きつい調子で叱咤(しった)している。
 ここで思い出したのは、かのルソーが晩年綴(つづ)った『孤独な散歩者の夢想』の一節である。彼はこの地球に隠された富が、人間の欲心によって掘り出され、それに伴い地上でのささやかな幸せを見失った人間が、いかに堕落していくかを、次のような言葉で記している。
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by e000e00020 | 2006-03-17 21:01
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