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by e000e00020
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住居だった。

「これ、マグサだ。牛は好きだ」
「どこ行く? ウン海か」
 そんなことを言って、例の微笑をやる。島の女の人の風習らしいが、正代も風呂敷(ふろしき)や何かの布れでいつもすっぽりと頭を包む。まるでロシアの農婦の被(かぶ)るプラトオクのようだ。
 その格好でどんな土砂降りの雨の中でも平気だ。時には頭から肩からぐしょ濡れになって、日照りの下を歩くと同じに仕事している。奥さんに訊くと、雨どころか、冬でも蒲団(ふとん)なんかきて寝ることはないという。いつも縁側にごろ寝する。彼女は白痴でこそなかったが、母親は白痴で、彼女はその私生児なのだった。正代は自分の出生を知って、その母親をとても嫌やがるという。白痴の母親はもとここの家にいたことがあるので、今も時々やってくる。その母親というのは僕のいる間にも一度やってきたが、正代の母親と思えないくらいに若くて、やはり私生児の赤ん坊を背中にくくりつけていた。家は阿古村の部落にあるのだが、ちっともそこへ帰えらない、どこにでも地面や石垣の隅なんかで寝るんだという。その母親の来たとき、正代はぷいとどっかへ姿をかくしてしまった。
 家の前の畑傍に四坪ばかりの小屋がある。トタン葺(ぶ)きで、板壁というよりほんの板囲(いたがこ)いだ。窓らしいものがなくて、たぶん雨戸の古だろうと思われるようなものが押上窓のように上部にとりつけてあるきりだ。内部は半分は土間で、つくりつけの竈(かまど)が二つ並んでおり、その隅にやはり竈の上にのっけて固めた工合の風呂釜がある。むろん煙出しなんかないので、しょっちゅう煙がこもっているし、どこも真黒に煤けている。後半分は畳敷と板の上に上敷(うわじき)をしいてどうにか部屋らしい体裁になっているが、そこが牧夫の民さんと白痴の昌さんとの住居だった。
 僕は頭の悪いのは昌さんだけかと思っていたら、民さんの方もやはりそうだった。民さんは四十いくつだという、小柄で、顔も同じように小さいが、それなりに輪郭(りんかく)のととのった顔だった。毎朝牛をつれて山へ行き、夕方薪(まき)を背負って牛といっしょに帰えってくる。昌さんは三十を越しているというが、二十三四にしか見えない。そしてひょろ長い。眼はひどい斜視だが、いつも上瞼が垂れているのでどこを見ているのかわからない上に、まるで人を軽蔑している風に見えるのだった。僕がはじめて彼を見て驚いたのは、そのいかにも憂鬱な表情だった。誰かが彼の前へ現われると、彼はさっさと逃げて行くが、そうでないときはじっとどこか一点を(といっても視線はわからないが)見て、額いっぱいに皺を浮かべる。まるで思いあぐんでじっとその場に立ちすくんだという様子だ。そういうときは声をかけてもだめだ。答えないし、答えても「ええそうです」「そうです」との一点張りだ。それもいやいやでいかにも煩(うる)さそうだ。
 もっともこの「そうです」は彼の口癖で、彼が何かといえば唄う歌、「恋し、恋しい銀座の柳」の後でも「そうです。ええ、そうです」とつけ加えるのだったが、なぜ彼はこんなに陰気な顔をしているのだろう。彼には普通人のようにものを感じる能力があるのだろうか。もしないのだったらどうしてこんな表情をするのだろう。灰色ばっかりを見ているような眼。彼の重たい沈んだ顔に何か動くものがあるのは、喰物を見たときだけだ。彼は何でも喰べ物でさえあれば一瞥(いちべつ)しただけで、ひょいとびっくりしたように立ち上がる。何か直線的なものがそのとりとめのない表情に現われてくる。そわそわと行ったり
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# by e000e00020 | 2007-03-11 17:10

動画サイト

Dailymotionなるあらたなサイトがあるそうである。
より容量の大きい動画を投稿することが可能のようである。
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# by e000e00020 | 2007-03-03 20:54

西鶴

 西鶴の作品についてはつい近年までわずかな知識さえも持合せなかった。ところが、二、三年前にある偶然な機会から、はじめて『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』を読まなければならない廻り合せになった。当時R研究所での仕事に聯関して金米糖(こんぺいとう)の製法について色々知りたいと思っていたところへ、矢島理学士から、西鶴の『永代蔵』にその記事があるという注意を受けたので、早速岩波文庫でその条項を読んでみた。そのついでにこの書のその他の各条も読んでみるとなかなか面白いことが沢山にある。のみならず、自分がこれまでに読んだ馬琴(ばきん)や近松や三馬(さんば)などとは著しく違った特色をもった作者であることが感ぜられた。そうしてこれを手始めに『諸国咄(しょこくばなし)』『桜陰比事(おういんひじ)』『胸算用(むねさんよう)』『織留(おりとめ)』とだんだんに読んで行くうちに、その独自な特色と思われるものがいよいよ明らかになるような気がするのであった。それから引続いて『五人女』『一代女』『一代男』次に『武道伝来記』『武家義理物語』『置土産』という順序で、ごくざっと一と通りは読んでしまった。読んで行くうちに自分の一番強く感じたことは、西鶴が物事を見る眼にはどこか科学者の自然を見る眼と共通な点があるらしいということであった。そんなことを考えていた時にちょうど改造社の『日本文学講座』に何か書けという依頼を受けたので、もし上掲の表題でも宜しければ何か書いてみようということになった。云わば背水陣的な気持で引受けた次第である。そんな訳であるから、この一篇は畢竟(ひっきょう)思い付くままの随筆であって、もとより論文でもなく、考証ものでもなく、むしろ一種の読後感のようなものに過ぎない。この点あらかじめ読者の諒解(りょうかい)を得ておかなければならないのである。
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# by e000e00020 | 2006-10-29 14:25

日本女子バレーボールチームがんばれ!!

日本女子バレーボールチームがんばれ!!
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# by e000e00020 | 2006-08-13 21:59

波の荒い瀬

兵隊は一列になって、崖をなゝめに下り、中にはさきに黒い鉤(かぎ)のついた長い竿(さを)を持った人もありました。
 間もなく、みんなは向ふ側の草の生えた河原に下り、六列ばかりに横にならんで馬から下り、将校の訓示を聞いてゐました。それが中々永かったのでこっち側に居る私たちは実際あきてしまひました。いつになったら兵隊たちがみな馬のたてがみに取りついて、泳いでこっちへ来るのやらすっかり待ちあぐねてしまひました。さっき川を越えて見に行った人たちも、浅瀬に立って将校の訓示を聞いてゐましたが、それもどうも面白くて聞いてゐるやうにも見え、またつまらなさうにも見えるのでした。うるんだ夏の雲の下です。
 そのうちたうとう二隻の舟が川下からやって来て、川のまん中にとまりました。兵隊たちはいちばんはじの列から馬をひいてだんだん川へ入りました。馬の蹄(ひづめ)の底の砂利をふむ音と水のばちゃばちゃはねる音とが遠くの遠くの夢の中からでも来るやうに、こっち岸の水の音を越えてやって来ました。私たちはいまにだんだん深い処へさへ来れば、兵隊たちはたてがみにとりついて泳ぎ出すだらうと思って待ってゐました。ところが先頭の兵隊さんは舟のところまでやって来ると、ぐるっとまはって、また向ふへ戻りました。みんなもそれに続きましたので列は一つの環(わ)になりました。
「なんだ、今日はたゞ馬を水にならすためだ。」私たちはなんだかつまらないやうにも思ひましたが、亦(また)、あんな浅い処までしか馬を入れさせずそれに舟を二隻も用意したのを見てどこか大へん力強い感じもしました。それから私たちは養蚕の用もありましたので急いで学校に帰りました。
 その次には私たちはたゞ五人で行きました。
 はじめはこの前の湾のところだけ泳いでゐましたがそのうちだんだん川にもなれて来て、ずうっと上流の波の荒い瀬のところから海岸のいちばん南のいかだのあるあたりへまでも行きました。そして、疲れて、おまけに少し寒くなりましたので、海岸の西の堺(さかひ)のあの古い根株やその上につもった軽石の火山礫層(くゎざんれきそう)の処に行きました。
 その日私たちは完全なくるみの実も二つ見附けたのです。火山礫の層の上には前の水増しの時の水が、沼のやうになって処々溜(たま)ってゐました。私たちはその溜り水から堰(せき)をこしらへて滝にしたり発電処のまねをこしらへたり、こゝはオーバアフロウだの何の永いこと遊びました。
 その時、あの下流の赤い旗の立ってゐるところに、いつも腕に赤いきれを巻きつけて、はだかに半纒(はんてん)だけ一枚着てみんなの泳ぐのを見てゐる三十ばかりの男が、一梃(ちゃう)の鉄梃(かなてこ)をもって下流の方から溯(さかのぼ)って来るのを見ました。その人は、町から、水泳で子供らの溺(おぼ)れるのを助けるために雇はれて来てゐるのでしたが、何ぶんひまに見えたのです。今日だって実際ひまなもんだから、あゝやって用もない鉄梃なんかかついで、動かさなくてもいゝ途方もない大きな石を動かさうとして見たり、丁度私どもが遊びにしてゐる発電所のまねなどを、鉄梃まで使って本当にごつごつ岩を掘って、浮岩の層のたまり水を干さうとしたりしてゐるのだと思ふと、私どもは実は少しをかしくなったのでした。
 ですからわざと真面目(まじめ)な顔をして、
「こゝの水少し干した方いゝな、鉄梃を貸しませんか。」
と云ふものもありました。
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# by e000e00020 | 2006-03-26 13:47

さかな

 僕はその春、モラトリアムを止めた。大学での研究は投げ出して、人並みに職に就こうとしたのである。しかし、会社勤めは一週間と続かなかった。上司との喧嘩によりそこを飛び出してからは、気儘(きまま)なアルバイト暮らしを続けている。暑い季節が巡ってきたので、一ヶ月の休暇をもらい、手元にある財産をリックに詰め込み、学生気分で旅に出た。
――こんな呑気な奴も珍しいだろう。
 自分はすでに二十六だ。仕事の上での付き合いはないし、嫁さん探しに躍起になる気もさらさらない。大学時代の仲間と酒を酌み交わすことも、最近では滅多になくなった。ただ、何処か遠い所へ行きたかった。
 目指す先は日本海に浮かぶ金と流人の島、佐渡であった。信濃川河口近くの船着き場から、フェリーに揺られること二時間半。幕末に開港した島の中心地、両津の歴史を感じさせる町並みが、夏の強い日射しの中から姿を現わした。港の中にはターミナル以外に、際立って高い建物は見当たらない。岸壁に沿って軒を並べる家々は、傾斜の急な屋根に灰色の瓦が重たげに載っている。この町が平たく奥行きがないのは、背後に湖が控えているからである。港に到着した後は、少し時間の余裕があった。そこで、小高い丘の上まで足を運ぶことにし、牡蠣(かき)養殖の筏(いかだ)が浮かぶ加茂湖の光を、心行くまで眺めていた。
 両津からバスに乗り、国中平野を横切って約一時間半、その日の宿が取ってある佐和田の停留所で下りた頃には、暑い日も西に傾き、時折涼しい風も吹き始めていた。史蹟が集中する真野までは五キロちょっとだが、無理をして今日回るのは止めた。
 翌日は先ず、真野にある朱鷺(とき)の郷に寄った。そこで目にしたのは、薄汚れた剥製となった鳥の哀れな姿だった。すぐに博物館から出てしまうと、目の前の道を進んで、くねくねした坂を登っていく。順徳院の御火葬塚はその先にあった。承久の乱で北条義時のためにこの地に流された院は、柵で仕切られた地所の奥で荼毘(だび)に付され、御骨となって京にお戻りになられた、と案内板には記されている。
 院が生前お過ごしになった配所は、この近くであったと、一般には信じられている。ところが、それはここから相当離れた菱池という、今はない小さな池のほとりにあったのだそうだ。しかも、この御火葬塚自体、江戸初期の延宝七年(一六七九)に築かれたもので、それ以前ここは田畑であったとのことだ。これは偶然その場に居合わせた郷土史研究家から耳にした話で、何でもロマンチックに色づけしたがるガイドの口からは、決して聞くことは出来なかったことだと思う。
 日が中天に差し掛かる頃、日蓮上人の消息を伝える阿仏房妙宣寺を訪れた。五重塔の下で慌ただしくお握りを頬張り、バス停まで駆けていった。前日泊まった旅館の前を過ぎてから、約三十分で相川営業所に着く。そこから佐渡金山までは歩いても行けたのだが、そろそろ足が痛くなってきていた。次のバスが出発するまで待合室で休むことにし、ガイドブックを読み返していた。
 丸太で組まれた坑道を、数珠つなぎで下りはじめると、地の底からひんやりした風が吹き上がってきた。脇の下の汗も引いて、まくり上げていた腕に、さっと鳥肌が広がっていく。ランプから放たれた柔らかな光が、一番奥の窪まった一角を照らしている。そこには江戸時代の採掘当時の状況が再現され、ちょん髷を結ったロボット達が、金の鉱脈を鶴嘴(つるはし)で打ち砕いていた。唐箕(とうみ)で穴の先端に風を送り、酸欠になるのを防ぐ一方で、湧き出した地下水は、水上輪という内側が螺旋状になった筒を回すことで、上の方に汲み上げられていく。その隣りの部屋では、これからどう掘り進めていくべきか、測量をしている者もいる。見張りの役人は辺りを見回すように首を振り、「手を休めるな。もうすぐ飯だ。頑張れ」と、きつい調子で叱咤(しった)している。
 ここで思い出したのは、かのルソーが晩年綴(つづ)った『孤独な散歩者の夢想』の一節である。彼はこの地球に隠された富が、人間の欲心によって掘り出され、それに伴い地上でのささやかな幸せを見失った人間が、いかに堕落していくかを、次のような言葉で記している。
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# by e000e00020 | 2006-03-17 21:01

投稿テスト

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どうしてだ?

なぜだ?
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# by e000e00020 | 2006-03-05 18:24

BOOMER河田を発見

ブログやってたんだ~

競馬のテレビにでているんですね。

ちなみにブログは、
BOOMER河田の そのまま! そのまま!-ウェブリブログ
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# by e000e00020 | 2006-03-05 17:48

やっぱ中辛だろ~

妹も天然なのですね。

でも、辛さはってきかれたら、中辛もありでないかい?

あ!

そうそうこれは、

眞鍋かをりブログの記事からでした。
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# by e000e00020 | 2006-03-05 17:42